夏に入り今年も豪雨による被害が起きていて、巻き込まれる人の事を思うと残念に思うばかりです。
私が「日常から宇宙を」という視点でブログを書いているのも、人の感性が鋭くなっていかないかという思いが込められてるから。
その感性で人に迫る危険などがわかって察知できないか、苦境にあえいでいる人なら上向きにならないかという考えです。
そういう私も感性が鋭いかと言えば、鈍い方でインスピレーションはかすかです。
それでもここ二年ぐらいの間で避けられてる事っていろいろあり、暮らしも特に今のところ大きな心配はないです。
地味な暮らしだけど。
何が良かったかって考えたら、地道だけどコツコツ生活の中で宇宙を意識するような視点を持って生きてきたからだろうなって。日常に宇宙を意識して生きるって、ささやかな足元に注意をはらうかんじ。
災害って密接に自然に関係していて、日々、空を見上げたり、時間をみつけては自然の中に入って観察してみたり、小さくても家庭菜園などの土いじりしてみたりもいいです。
自然に触れてると今いる場所は地続きで空も含め遥か彼方と繋がってる事に気づいたり、それを思うと他者の痛みは自分痛みでもあるって思えたりです。
自然に触れる暇がないっていう人は、大きくても小さくても社会システム全体に関心を持ってどう暮らしに影響があるかを意識するのもいいよね。
例えば、これから災害が起きそうな場所を想定してみたり災害後の復興が本当に行われるのかを注視していってもいいと思う。
災害に限らず人手不足は今までのサービスが恒常的に受けられるかの危機だし、自ら命をたつ人の増加は生きづらい社会の現れだよね。
自分は大丈夫っていう時代でもないし仮にそう思っていたら遠くにいても今、大変な人の事を思って何かを考えるのが大事なんだろうなって。
前の記事にも書いたけど行政などに過度な期待が持てない時代に入ってきてるし、自分たちの事は自分たちで自前で考えていった方が、いいんだろうなって。
依存をなくす事をよく記事で書いてるけど、ほんとそうなんだよね、最近の政府や行政の対応やあり方をみてるとね。読んでる人の中には「インスピレーションとか感性と言われてもね・・・」って思う人もいるんじゃなかな。
言っておきながら難しいと私も思う。
じゃあ、予測的な考えを常に持つってどうだろう?
そっちだと現実的じゃない。
まずいかなって思うのは、何も考えない、何も感じていかない、思考停止に陥ることなんだ。
出来るところでからで。
自分のうちの近くの避難所ってどこだっけとか、お水のペットボトル一本から余計に買って置いておくとか。
その辺もう当たり前のしてる人が多かもだけど、心配してるのはあまり気にしてない人や一人暮らしの人とかなんだよね。
それとね、軽いつき合いの関係でもいいから普段からあいさつ程度でも話せる人をつくってくれたらと思う。
なくべく近場とかで。
ただ災害とかって、その場にいる人たちとわりと助け合ったり出来るのが日本人だったりもするので大丈夫かなとも思うんだけど、それでもね。
私は宇宙をテーマにしたブログを書いてるけど、普通の人間で能力者ではないんだ。
だけどね、そこに意味があるんだろうなって思ってます。
変わり者なとこあるかもだけど普通の肌感覚でブログを書けてます。
多くの人の安全と幸せをと思ってます。
ありがとう。