古代の人って感性が鋭かったんじゃないかって。
今みたいに文明が発展していなくて厳しい自然環境のなかで生きるとしたら、普通に感性が磨かれていたんだろうなって思うんです。
槍とか持って生き物を追いかけないと食べ物がなかったりして、鋭敏な感覚が必要ですよね。
自然のなかのあるもので生きていくの、今じゃ想像も出来ないくらい過酷だったんだろうし。
ただ、人が協力しないと生きていけない部分が大きいだろうから、すごく人間関係がシンプルできっと仲も良かった。
そこが複雑だと生きること自体に支障が出るだろうから。
人って孤独に耐えられない生き物だとして、仲睦まじい人々の営みがあるとしたら厳しい自然環境でも幸せがあったはず。
厳しい環境だから生きる事に必死でそれ以外、難しくもなかった。
生きているが全て。
どうなんだろう。
今がこんなに便利になってしまってそれを知ってるし、古代人の生活なんてとても出来ない。
だけど現代の人の生き方が本当に幸せなのかなって思う。
なんとなくね、いろんな技術進歩の中で人の大事な部分を忘れていってるんじゃないかなって。
さっき書いた鋭い感性の部分とか、心とかね。
そういうものが忘れていって欲しくなくてブログを書いていたりもします。
私自身も感性を鋭く伸ばす為に試行錯誤して生きているところがあって、いろいろと試しながら生きてるんだけど。
それは未来への備えであったり、希望でもあったりでインスピレーションで動いて返ってくるものがあり、それがすごく面白くて楽しいです。
良かった助かったとか、得したなーとかも含めてね。
技術の進歩は悪い事ではないだろうし、発展の先に更なる進歩があると思う。
問題はやっぱりそこでの人間。
発展させる私たちがいろんな良いものを消滅させないでいけたら。
技術の進歩で健康面、精神面や感性を含め人が逆に退化していって欲しくないなと思ってます。