このブログは記事によってはハッシュタグやカテゴリーに「備え」という言葉をつけて投稿してます。
「備え」と言ってもいろいろあって、伝えたいのは精神的な備えです。
個人ではどうにもならない問題がたくさんあるんだけど、どうあっても生きていく事には変わらない。
不安に駆られて意気消沈してもあまり良くなくて、一人一人が今日一日や目の前のことに一生懸命生きていけばいいとも思ってます。
けれどね、やみくもに生きるんじゃなく時代にあった知恵や視野が持てるともっといいなって。
日々の中で、何ごとかあった時になるべく落ち着いていられるような、そんな自分を作っていってもらえたら。
それが精神的な「備え」です。
コロナが蔓延した時も、つい最近の米不足になった時も人って一斉に右往左往。
パンデミック時のコロナは未知のウィルスだったし、お米は主食でないと困るものだった。
仕方ないよね。
一方で事態を冷静に捉えて、コロナ禍は自分を見つめる時間にと何か始めた人やお米がないなら他のもの食べるわって、あっけらかんとしている人もいた。
そこには同じ時間を生きて苦境にどう立ち向かうかの違いが現れたと思う。
いつも冷静な人は後ろ向きでも投げやりでもないのね。
どれが得策かを考えてる。
どの手段、どの方法なら自分にとって有効かを。
流行病がどんなものか早々と調べ、免疫が大事とわかれば自炊で少しでも体にいいものをとり、室内で出来る筋トレでも始める。
ホームスティが始まれば仕事のかたわら見たい映画に読みたい本を読んで、友人とオンライン飲み会。
金融や株式市場のコロナ回復後を狙い投資の勉強を始めた人もいたりして。
前回記事で二極化について触れたけど、不安に翻弄される人と不安を持ちつつも冷静でいられる人の違いだよね。これとは別にコロナ禍の中で忘れてはいけないのは医療従事者、福祉関係者の方々。
不安だ怖いなんて言ってる間がなく、黙々と自分の仕事をこなし続けたはず。
私たちがなんだかんだと暮らせていたのは誰かが難しい局面を担っていたから。
その人たちは極限の連続をくぐり抜けて生きてたんだろうなって。
ブログでは冷静であることや視野の広さが大事って言ってるけど、それがあると困難な時にも切り替えが出来て多少の軽やかさを持って進めるからなのね。
地道さにも触れてるけど、その人が逃げずに来た事も経験やスキルになる。
それらは自信や余裕に繋がり、少しの事でもびくともしない強い人になってるはず。
きっと生き抜くための何ものにも変え難い財産に。考えや選択、行動がその人の状態を表すと思う。
時代が変わりつつあると思うのはこの辺で、物質から人の精神や心の柔軟さが少し試されるようになったかなって。
で、実際にそれが起きてる。
心や体が健康なのも、その人へ恩恵をもたらしてるとも言えるよね。
何がなくても心身が健康なら「さぁ、やるぞ!」って動き出せるでしょ。
活力がなければ生活する知恵もお金も生まれないよね。
元気がない時って冴えないもん。
そう、心や体の健康はこのブログでよく出てくるエネルギーに結びついてます。
健康に自信が無い、メンタルが弱い・・・。
そんな人もこれから時代に合わせるように進めばいいと思う。
大丈夫、ゆっくり自分の舟をこぐ様にね。
なるべく自分に良いものに触れ、生き生きと過ごして何かに気づいていき乗り越えられる心身を。
あなたが未来により良くあればと思ってます。
ありがとう。