数日前に頭の中に線路のレールの切り替えの場面が浮かびました。
何の脈絡もないんだけど、その場面がしっかり自分の中に残りました。
道が分かれる。
そう思いました。
道はとっくに分かれていて自分の道を歩いていると自覚しているけど、なぜ今この知らせなんだろうと思ってました。
レールの切り替え場面が頭に浮かんだ次の日に、テレビのニュース報道でとても悲しい出来事を目にしました。
もう、こんな事は起きてほしくないというような事でした。
そのニュースを見た次の日、その次の日となかなか悲しみが癒えなかったです。
私がブログを書こうと思ったのは、自分が日々の中でたまに受け取るささやかでも不思議なメッセージやみている世界を伝えたいという思いがあります。
その他にも不透明になり続ける現状の世の中で、どこかに希望が見つかるような事を伝えられたらという思いもです。
日本は自ら命を絶つ人がとても多いです。
それぐらい生きづらさを多くの人が感じ取ってるんじゃないかと思ってます。
明日ってわからないもので、それだけでも生きてるって確証がない事です。
そうあっても人って懸命に生きている様な気がします。
何となく生きてても、真剣に何かを探究して生きてても、絶望して投げやりになって生きても、生きている事自体が懸命な事です。
その人その人で生き方、考え方、個性があったりする中でこれが駄目でこれがいいなんて答えがあるのかな。
確かに良い悪いの善悪はありますが、それ以外にもいろいろな考えを持って生きているのが人間だと思います。
宇宙に目を向けて生きていく中、人としてまず人とはとたまに立ち止まって考えます。
何か基本中の基本の気がしているからです。
いきなりそこを飛び越えて宇宙という訳ではなくて人とは何かです。
到底わからないけど、今の自分の足元や現在地を確認、理解しながら生きるんですね。
自分を理解する、人を理解する、自然を理解する。
そして宇宙を理解するです。
そこには観察も含まれます。
そうしていく中で自分が気づく宇宙もある様な気がするんです。
あなたはどんな宇宙に存在していたいですか。
その前にあなた自身がどう生きていきたくて、どう存在していたいでしょう。
愛のある世界が広がって欲しいです。