宇宙を感じ風になる

               

いつもの中で

最近の季節の移り変わりを例えると、凄く気まぐれで激しいかんじです。

人だったら退屈せず面白いってなるかもだけど、度を越すと付き合うのに疲れます。

面倒くさいってなるものです。

 

自分にもそんな部分があって気まぐれな方かなとも思うけど、外に出す場面や人との間柄を考えます。

なんて言うか、凄く信頼しているから相手に対して感情が出たり。

だけど相手にしてみたら突然、変わったと思われたりもあったのだろうなって思う。

自分にしてみたら凄く我慢してきて、相手ばかりが自分の好き勝手な事を言ったりしたりだなって思った時に、返す様にはっきり言うんだけど。

なので、よっぽどの事。

幾度となくやんわりと伝え続ける時もあって、それでも伝わんない時があったり。

抑えていた分、言い方もきつくなったりもあるけれど、自分が自分を出すのはその人を信頼しているからなんですよね。

これって誰しもにあてはまるんじゃないかって思う。

 

お互い様なんです。

 

感情の激しい人にはその激しさが間接的でも直接的でも人にぶつけ続けている間は返ってくるだろうし、黙って人が周りからいなくなるんだろうなって思う。

 

結局はその人の問題だから、どうあってもいいと思う。

その人が選んでいる事だと思う。

周囲は関係かったりします。

 

若い時に十分に感情の起伏や気まぐれさを表に出して、好きに過ごしてきたなと思ってます。

それを許してくれた周囲の人たちがいて、その中で生きていた。

 

結婚して、少し昭和の感覚が残る環境の中に入った時に「ここで失敗すると凄く生きづらくなるかも」という不安がありました。

その不安は、これまでとは違うはずだから心していかなきゃという緊張が常にあって周囲と打ち解けていくうちになくなっていった。

いわゆる「積む」という状態への恐れ。

振り返れば、あの緊張が良かったな。

緊張の中でいろいろ考えて過ごしたんだと思う。

 

人との間は、いい距離感。

距離感とはいい言葉なんだけど、極端で偏ったこれぐらいは許されるだろういう甘えがない事、常にかけひきをして人を試さない事も入るかな。

節度よね。

人だから感情が出る時はあるんだけど、いつもそれが剥き出しだと自分も周囲も疲れます。

その事に気づくのは優しさかも。

本当は疲れているのに疲れた顔見せずにいるのは、なぜかな?

 

自分のミスで困り顔の人もいれば、ルーティンに滅入り仏頂面で話しかけられない空気の人、もう少しで終わりだーって雰囲気の人も。

仕事の終業の時間帯はみんないろんな面持ち。

 

優しいから、顔にも言葉にも出さないんだよね。

 

そっちの方が楽な人もいれば、そっちが嫌な人もいる。

 

優しい人がいるから仕事が出来る。

 

困った時にいつも嫌な顔せずに応えてくれて、ありがとう。