宇宙を感じ風になる

               

危険を感じとる

去年の出来事で写真に撮ろうと冬の始まりに水辺へ出かけた時の話です。


川などの水辺は雪深くなると近寄れず、夏だと草が生い茂って同じく難しいです。

晩秋か初冬になると草木の茂り具合が落ち着き河岸の景色をよく見る事ができます。

氷点下の気温が続くと薄氷が張り近くの地面も凍ります。

それでも相手は自然、注意しながら観察。

一歩進むのに、地面に見えるところも凍ってるかどうか足を軽く着けて次に何度か踏んで確認です。

慎重にゆっくり進みます。

人の足跡を確認しトレースするように進んだりもして。

その水辺は今年に入ってから見つけ、冬の景色が綺麗で支流になる小川があって河岸よりはその小川を見に行く事が多かった場所。

小川で人と犬だろうと思われる足跡を見つけ、歩いてみたいと思ってでかけました。

普段は見られない綺麗な河岸や小川が凍ったのを見て、スマホで写真を撮ってたんですが急に短い耳鳴りがして空気が変わった感じがしました。

もしかして、クマ?と思って辺りを見回しましたが動物の気配がしません。

狭い範囲をあまり動かずに撮ってましたが「今いるここだ、すぐに移動しなきゃ」と思いました。

地面は凍ってるように見えてるど、ひの光で溶けてる部分もあるのかもと。

歩きながらたまに自分が薄氷を踏む音がしてたので。

その日の気温は氷点下で足が水に浸かると帰りが大変。

すぐにもと来た道へ戻る方向へ。

その場を離れると空気感は元に戻りました。

途中で数枚の写真を撮ってから、無事に帰路につきました。

登山や釣りなど自然に触れる趣味のある人は進んでいく先の足場や天候、気温の変化などで一度くらいはひやっとした経験があるんじゃないでしょうか。

きっと培われた経験や勘で大事に至らずこれてる人も多いのではと思ってます。

私も自然に予測不可能な部分があると自覚してますが、自然の中で耳鳴りと周囲の空気が一変して感じるが同時に起きたのは初めてでした。


昔からたまに短い耳鳴りがあって、あくまでも感覚での知覚として霊的なもの、生き霊っぽいもの(良い悪い両方)、稀に地震の前などです。

厳密に特定する判断能力が弱く何となく気をつけるぐらいしかないのが残念です。

 

 

 

 

 

不安を無くしていく基本的なこと

数年前から2025年に何かが起きるのでは?と未来を予測する人達の間では言われています。

私としては何かが起きる起きないは、はっきりわからないと思いつつ戦争や災害が世界中で起きる現状でいつ何が起きてもおかしくないとも。

どう感じ思い考えていても、人間は今しかわからない部分が多く想定外の事もよく起きます。

そのうえで気持ちを安定させて前に進むにには視野の広さが必要です。

視野の広さや狭さは柔軟性と許容に関係してると思ってます。

柔軟性ってとても大事です。

なぜなら様々な物事の理解、発想、視点やそれを伴う姿勢や対応に関わるからです。

柔軟性が欠けてこだわりが強すぎるとやはり視野にも影響します。

一方で視野の広さをいくら意識しても全てを網羅する知識や着眼点を持たないのも人間です。

現時点での人間の限界ですね。

打開策に自分にない知恵や知識を他者が持つ可能性があると忘れない事。

他者に触れて生きるとは自分にない価値観や発想などに気づく事です。

自分以外の人間がなぜ存在するのか?問いの一つの答えだったりも。

どの時点においても人は協調して生きるのが重要である理由です。


人間関係は柔軟性に関係しています。

いろんな価値観や発想を理解するには、それらを認知する必要があります。

ここで大事なのは認知者の自分が自分というものをある程度わかっている事です。

誰しもが自分にとってこだわりや大切にしているものがあるのでは。

それこそがその人というもの。

それを無くしてはらしく生きられないもの。

そこを守りつつも他者を尊重していく。

互いに理解し合うポイントですね。

自分と他者を理解するのが協調の鍵です。

自分と周囲に協調関係があれば安定がもたらされて不安が解消されていくでしょう。

いつの時代、どの場面でも根本や土台です。

そこをないがしろにしては、人が人と理解しあう根幹を無視し続ける事なので争いが絶えなく範囲が大きくなると戦争に。

それは不安定で不安が尽きない状態です。


一人一人が協調の意識を持てば平和になるんですよね。

柔軟性からもたらされる広い視野を持ち自他の理解を通して、さらに大きく何かに気づけるようになれたらと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散策路で春をみつける

週末に散策路を歩きに車で約二時間くらい離れたところへ行って来ました。

出かけた場所は同じ時期に去年行ってるのですが、ほとんど雪が溶けていて歩きやすかったです。

ここのところ気温が高い日が多くて春の訪れが早いといいなと思ってます。

去年の夏は猛暑で暑い日が多かったのですが冬も気温が高くて暖冬でした。

おかげで暖房費が過去一番くらいにかからなくて節約になり、物価高騰のなかで助かりました。

普通に暮らしながら日々いろんな事を一人で探求してると、どうしても煮詰まるような気持ちになる時があります。

何せ、こたえが出ない事を考えたりなので。

自然に触れるのは気分転換もあるし、自身のバランス調整の為というのがあります。

あとは何か変わったものが見つけられたらと。

調整法は教えていただいた事からヒントを得て実践しています。

日頃に自分を整える事をしてるので体、心ともに元気なんだろうといつも思ってます。

軽い散歩でも体を動かす事ってほんとにいいですし、直感やインスピレーションを活かして仕事されてる人って何かしらのご自分の整え方、調整法を持ってる印象です。

食べ物からはじまり、睡眠のとり方、出かける場所まで自分に心地よいものを選ばれてます。

やはり健康を害すると感覚が鈍くなるというのがあるんですね。

インスピレーションの分野で活躍されてる能力者さんって、はたから見ると「もともと感性が強いからよね、生まれつきでしょ」って見えるかもしれません。

確かにですが、見えないところできちんとされていて心身を大切にするのが習慣なんですね。

規則正しい生活、普段のケアや積み重ねを怠らずです。

 

散策してると春を感じるものをみつけました。

最後の写真はねこやなぎに似てますが、こぶしの花のつぼみです。

北海道はこぶしの木が多くてこの花が咲くと春が来たなと思います。

他にも春を告げる花っていろいろあるんですが、見つけると嬉しくなりますね。

どんなに冬が長く感じても、明けない夜がないように必ず訪れるのも春です。

 

 

 

 

力を抜いて素直でありたい

今回はつぶやきみたいな記事です。


ブログ投稿後は自分のブログを読み返します。

推敲には時間をかけますがそれでも誤字脱字がないかの確認のため。

最近更新のブログを読んでて「何だか情熱的だけど、うまく伝わるかな」と思ったりしてました。


私は普通の人間で何度も繰り返すけど神秘的な能力はもともと強くない方です。

そんな自分が宇宙を探求していて、それで日常が充実し始め独りでもっと学びたいと思っているそんな事を書いてます。

他に神秘的な経験や、なんとか直感なりが強くなって自分を含め多くの人が助かったりしないか、そもそも宇宙って何?みたいな事も。

挙げるとそんな内容ですが、どうしても丁寧に表したくて知らずと熱量が高くなり書いてる時があります。

どの記事にも今のところ後悔はないのですが、かっこ良く書いてる風に見えたりするかな?と思う記事内容だと自分でもちょっと恥ずかしいかもって後で思ったり。

それでも、その記事にある自分もやっぱり自分です。

実力のある能力者の先生方って、凄くいろんな事が視えてるのに終始ひょうひょうとしてるんですね。

横柄で人を見下したりも当然しなければ自分を大きく見せたりもしないです。

謙虚で優しい方が多くて、その姿勢にこちらの身が縮む時があります。

出会ったそれらの先生の事や自分のあり方をよく意識します。

自分に酔いしれてたり、虚構の中で生きて出てこれなかったり、尊大なプライドや外側を気にして大きく見せようとしたり、まるで聖人君主とかこれに気づいて凄いんだぞと言いたいみたいな、そういう事してないかなって。

要するに勘違いしてないかです。


等身大で素直でまっすぐにいつもありたいです。

そうしないと自分も窮屈になるし楽しくない。

それにいろいろかっこ悪いと思うから。


私はサザエさんよりうっかり屋でおっちょこちょいです。

みえてない部分もたくさん。

でも宇宙を考えるのが好き。

これからも、ずっとそうだと思う。

 

 

 

 

いつも立ち上がらせてくれるもの

「既定路線を超えて」のつづきになります。


コロナ禍の後に戦争や災害も頻発して世界的な危機が訪れ、今現在も不安定さが続いてます。


私生活では数年前に身内を亡くしたのですが、病の大変な苦しみを理解してたので悲しく残念に思いつつも冷静に気持ちが整理された部分もありました。

コロナ禍の時は不安がつのる事もありましたが結局、家族の誰一人もかからずに過ぎて今に至ります。

物価高でも庭の畑があったりで、ご近所さんと野菜や果物のやりとりがあり普通に過ごしてます。

もともと質素なところもありのんびりし過ぎているのか値上げもまぁ仕方ないかと。

主人の父や市内の私の親も叔母も近しい家族みんな元気です。

その他の周囲の人たち、出会っていく人も優しく良い人たちばかり。

平凡で穏やかな日常が続いていってます。

普通のこういった生活が、国内外で起きてる事を思うと身に染みてありがたく感じます。

私自身の中に苦しくなるような事はあったのですが、自分の成長を考えると必須の経験だったとも。

それよりも不思議な体験、みえる世界が変わっていくのや何かに気づいていく事が多かったです。

こうした事を通して日に日に、もっと積極的に宇宙への理解を進めたいと思うようになりました。

日常を実践の場として。


前回の記事の最後に書きましたが「とても広く大きなもの」の実態をつかみきれないのですが、いつも深い感謝の念があります。

感謝と同時に身の回りに対して愛情深くなっていきました。

太陽の光、月明かり、星の輝き、そよ風。

多くの生き物、木々、草原、海、山、川、田畑。

そして周囲の人々。

当たり前にあるものに愛情を持って感じいるようになりました。

それらの愛情は幸せを感じたり、はつらつとした気持ちになるものです。

悲しい出来事での傷ついた心も癒やし、幾度となく必ず立ち上がらせてくれます。


今の自分の周りにあるものに気づき、更に「とても広く大きなもの」を感じての視野の広がり。

それは疑問、探究、感謝、愛情のループです。

ループは好調や充実をもたらし心の安定に繋がりました。

 

概念のような「既定路線」を超える前後に、こうした心の変化が起きてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既定路線を超えて

前回記事「出会いに助けられ」のつづきです。

 

記事の出来事と同時期、他にも何らかの同じような「声」を聞いてます。

私個人に対する予言のようなもので、その時は信じられなくて情緒的に苦しくなり発狂寸前までいきました。

 

このままでいいのだろうか。

何か問われてると感じた後にいろんな事を考えました。

自分に何ができるのか、何をするべきか、何をしていきたいのか。

そして今の自分の状態が満足できるものなのか。

その時の自分は決めた型のように感じる既定路線があり、安穏とし甘んじている様に感じてました。

このままじゃ自身の学びも進まないし、凄く怠惰な気がする。

そう思いました。

既定路線を守る人もいるから基本が続きます。

受け継ぐには基本を守り続けるという姿勢を崩さない点が重要ですね。

厳しさがあると思いますし、守る意義もあり尊い事でしょう。

それはそれできちんと出来ればとても素晴らしく大事です。

守れる人には誠実さを伴う責任感、謙虚さが備わっている人。

そこがあるから革新が生まれると思ってます。

どうか忠実に継承していただき、日常に大きな豊かさがある変わらないものを残していってほしいです。

伝統も革新も両方いいものだと思ってます。

私が学んだ事は教えてくれた人のものだと思ってます。

世間話的な事や表面的な事は書けますが教わった細かい内容には触れません。

最初のコミュニティにいる時に自然に理解しましたが、そこで守られてる事があり他言するのは御法度です。

書いていくとすれば、主に自分が経験した事や気がついていった事などです。

 

進路変更はいろいろと悩む事が多いもの。

一方で勇気を持ち挑戦するから成長もあります。

大きな視点ですが、地球上で人間が進化しないのはある意味で恐れを抱いている側面があるのかなと。

一人一人がチャレンジャーとして真剣に模索した先に進化の兆しが現れるのかも。

 

自己の変化に戸惑いや混乱がありつつ進路を変えて。

感じている事、考えている事の表現を思った時に自由さと広くとても大きなものを感じてました。

広くとても大きなものを端的に言い表せないのですが、ここまで辿り着いた事への感謝とむくいたい気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出会いに助けられた後に

以前の記事で小さなコミュニティで神秘的学びを経て今に至ると書きました。

一番最初の集まりは、後の自分にかなり影響を与える学びをしました。

学ぶ姿勢に勘違いがあったなという反省がありますが、感謝の気持ちがあるのでどこかで精進が伝わればと思ってます。

 

次の集まりで宇宙に関して学びます。

宇宙と繋がりがあったおお元の方、はたらきかけをした宇宙の方々とその他の方にやはり深く感謝しています。

後継の方が皆さんと是非とも素晴らしいものを残していって欲しいです。

 

他者と一緒でも一人でも学びは特に変わらないです。

淡々と進めるのですが、学びの体感や実感が増したのはここ一、二年です。

何か自分自身でも気づかなかった意思に気づいていってから。

時を同じくして自身にも不思議な事が起きていってます。

それは見逃すようなほんの些細な事や夢、滅多に起きないですが目の前で気象が絡むような神秘的な光景に出会って深まっていきました。

何が起きているんだろうとなって、自分に集中しなければいけなくなりました。

変化が起き始めた時にまだコミュニティに属していて、信頼していた亡き先生の後にまとめてる方に報告しましたがなしのつぶてでした。

信じてもらえなかったのが一番の理由です。

戸惑う私に力を貸してくださったのは、様々な能力をお持ちの先生方でした。

経験した一つにエネルギーが胸の部分で溜まって、うまく回ってないと感じ困り果てた事がありました。

胸に充満するエネルギーの簡単な調整方法を教えてくださった先生がいます。

「本式があるんだけど難しいんだよね。習得するのに時間がかかるし。きはるさん(私)ならこの方法で滞りとれて回り出すから、やってみて」と。

実践してみると本当にそうで、びっくりするやら嬉しいやらとにかく感謝でした。

 

様々な出会いがあり教えていただき助けられました。

学びが加速度的になり、自分なりの宇宙を捉え始めた時にこのままでいいのかという切迫感を持つように。

 

その気持ちを持ってから。

「あなたはここまできて一体どうしたいのですか。学んできた事を軸とし経験をどう活かすのですか?」

どこからか、そう問われた気がしてならなくなっていきました。