宇宙を感じ風になる

               

過去からよみがえる

子供の頃、親によく山菜採りに連れてかれました。

うど、こごみ、ぜんまい、ぎょうじゃにんにく、落葉きのこ。

そんなのを採りに山などに行ってました。

落葉きのこは針葉樹の下にあるのですが採りに林に入る際、「ここから先は似たような景色になるから離れて採ってる時に声を掛け合おう」や「先にあまり進まない事。自分のいる位置がわからなくなるから」と言われました。

他の山菜を採りに行く時も崖などがある結構険しい場所へ入った記憶があります。

母が昔の寒村育ちで山菜取りの心得がありました。

一方、父は都会育ちでしたが登山が趣味の人。

当時としては珍しいと思うのですが海外の山も登る経験もありました。

そんな理由で学生の頃、両親と一緒に住んでた地方の中央部に位置する有名な山脈の山をいくつか登ってます。

紅葉で有名な山もあり、きつくて「疲れた〜」と何度も言いながら登山した記憶があります。

住んでる場所の最北端にある離島二つも子供の時に両親と行きました。

自然散策が目的でほぼ一日かけるトレッキングや登山を楽しみました。

景色の美しさは抜群で、お花畑がとても綺麗で島の楽しみ方はそれらの自然に触れる醍醐味。

印象深い思い出ができました。

大人になるにつれ、特に自然に親しむ事を忘れていった記憶があります。

友人と普通に遊び、好きな音楽やファッションなど若い時期に関心があるものに興味を持っていきました。

反抗期もありいい子ではなく厳しかった母への反発が強かったです。

そんな私が今、思うのは多分に両親の影響を受けていたという事です。

 

去年はそれまで歩いた普段の散策路を変更しました。

その前に歩いてた散策路へなぜか、あまり足が向かなかったからです。

変更前の道付近にクマが出没していて、そこへ行きたくなかった理由が後になってわかりました。

歩いていた道は勘でここは大丈夫な気がすると思った場所です。

そこをよく歩く地元の人にクマの状況を聞いて確認すると、やはりクマが一度も出てないと言ってました。

いつも過信はしませんが、自然の厳しさを子供の時から学んでたり勘を培ってたと。

 

人は何かしらの経験をして生きてます。

無駄だと思ってる事も過去からよみがえる場合があります。

ささやかな事であっても自分の今は、未来の自分を形作るものです。