宇宙を感じ風になる

               

手術をまぬがれる

前回記事「体調の変化」のつづきになります。


最後の方でもう一つ手術をまぬがれたと書きましたが実は股関節痛があり、長い距離を歩いたりすると痛みがありました。

原因は両足の股関節にある足の付け根の部分が若干外側にずれていると、レントゲン結果から告げられました。

医師からあまり足を酷使しない事、このまま痛みが無くならなければ将来的に手術も視野にと。

言われたのがかなり前でしたが、その時は床に正座したりの座る動作と歩くがかなりきつくわかった時は足をひきずって歩いてました。

年齢により膝や腰や股関節の手術は珍しくないし医師にも今は良い手術もありますよと言われ、いずれはと思ったりも。

無論、手術したくないのが本心です。

 

一旦その事を受け止め自分でも何が原因だろうとよくよく考えました。

その頃に身内が体調を崩して入院、かなり切迫する状態だったので近くで見守る覚悟をし仕事を辞めました。

私と主人の身内だったので心配な時期がしばらく続き、家に長く居る時間も増え運動不足気味に。

体質と年齢もあり体重がかなり増化。

「一年で一キロでもいいから痩せる様にしよう。痩せたら股関節の負荷も軽くなって改善するかも」と思い少しずつ痩せるようにしました。

最初は短い距離を歩き、様子をみて少しずつ長くしたりステッパー器具を利用して室内運動したり、あとは食べ過ぎを注意。

診察から八年ほどたった去年に股関節の痛みがほとんど無くなりました。

それどころか、何か体の内側からみなぎる様なものがあって体を動かすのが苦にならなくなったのです。

去年の記事に書いてますが、それが理由で一日に二十から三十キロも歩く徒歩旅にも出かけて低山の登山もできる様に。

体の不安がなくなり解放され自由になったかんじでした。

長くかかったけど診察結果にめげずに計画性を持ち体を動かしていき良かったですし、冷静に実行したのが自分を助けたと。

自分の体、普通にできる事を当たり前にしたんですよね。

ただ、不思議なんですよ。

気がかりな体調不安がいっぺんに全快したのも行動があったにせよ、一つは良くなった理由がはっきりとは、わからないんです。

わかってるのは、二つとも独りで宇宙を学ぶと決めてブログを書き始めてから起きた事です。



 

 

体調の変化

ここ最近で一番自分の中で助かった事が体調が良くなった事です。

女性だと多い悩みかもしれないですが、婦人科系の疾患があり生理が年々重くなっていくのが苦痛でした。

昨年の冬に入る頃まで症状がひどく、最終的に鎮痛剤が効かない痛みと痛みが酷すぎて吐き気がするのと、立ち上がるのも困難な状況になりました。

生理後は貧血で二週間くらいは長い距離歩くのを控える生活でした。

これまで問題がなく生理痛の酷い人の辛さがいい年になってわかりました。


「もう耐えられない、痛みで失神しそう。普通にご飯支度とか家の事もあるし、手術を考えよう」と思いました。

同時に「ブログが書けなくなるな。少しお休みしようかな」と。

やっぱり体調が良くない時は書くのも億劫なんですね。

パソコンを開いても文章が進まない。

筆の走りが悪いというか。

書く事がとても楽しみでもあったので、お休みする事が何とも言えない気持ちになりました。

痛みで苦しくなって耐えられなくなった時、「もう〜助けて。耐えられない」という強い気持ちがありました。

「助けて」は特に対象がなくて自然に出た気持ちです。

その後に「体が辛くて書くのが大変。もし、この痛みが消えたらブログを一生懸命書きたい」とも思ってました。

必死でそう思ってました。

ところがその後、翌月から痛みがまったくない貧血も起きない生理がきました。

最初「え、嘘?たまたまかな」と思ったのですが、その翌月も次の月もでたまに痛みがある程度で今に至ってます。

現実としてはっきりしているのは、考えていた婦人科疾患の手術はしなくて済んだという事です。

その年に買ったお守りのようなものを持ってたので、そのおかげもあったと思いますが不思議な出来事でした。


ここ数年憂鬱になり苦しんだ症状がなくなったのはとても助かる事でした。

そしてブログをちゃんと書かなければと思う出来事でした。


体調の変化はこれだけではないです。

実はもう一つ将来的に手術を考えなければならない不調があったのですが、最終的にそれも免れてます。

それがはっきりしたのも去年でした。

 

 

 

 

変わらずに

前回記事「理解する時に気をつけている事」の続きになります。

このブログでは、生きていくうえで心身の安定の大事さや冷静な判断力や人として学びながら私なりに捉えている宇宙などを繰り返し伝えていくと思ってます。

タイトル「感性を養うには」で書いた技術の進歩の他に地球環境の変化、戦争など進行形で動いてます。

その中で流されずに人として生きていくには。

そう、人らしさを失わずに且つ宇宙にフォーカスした生き方ができればと。


人間なのでいきなりの進化ってなかなか難しいのかなと思うんです。

宇宙全体の規模感でみても、想像ですが人間ってかなり原始的なんだろうなと。

合理的じゃない、進歩しないとか。

良いところもあると思うんですね。

感情豊か、共感性がある、想像力があるなど。

常に良い方向へ向けばと思ってます。

人の感性が培われて自他共に助かっていける人間であればという希望もあります。

何かあっても多くの人が助かった先に大変であろうとも気力、体力、知恵、直感などで互いに協力し生き延びていけたらとも。

それにもやはり心身をつくり日頃から健康的であるのも備えの一つ。

物質の備えも重要ですが、心身は何かがあっても無くても生きる上での基本です。

きっと何度でも私は同じ事を伝えていくと思います。

地味で派手さはないし、その点でつまらないブログになるのかな。

それでも良くて誰かにこの思いが伝わっていき、今からも次の時代も人が人としてよりよく生きられたらと思ってます。


ブログを書くと、いろんな事を考えます。

私はそれまで学んできた宇宙を独りで深め始めてから今の考え方が固まっていき、言葉にする事ができてます。

日頃に思う事は宇宙を思っていても、考えは現実的で地道で私自身が平凡で普通だなと。

まぎれもない地球に沿った一般的な地球人です。

ですが、かすかなインスピレーションを大事にこのブログを書いています。

いつも焦点を合わせて生きている宇宙への思いと共にです。


戸惑いがあって始めたブログですが、学び始めた頃と全く変わらずの自分がいて書けている事を嬉しく思ってます。


さまざまな宇宙観があると思います。

皆さんにもあった宇宙に出会っていってもらいたいです。

 

 

 

理解する時に気をつけている事

ブログアップ後の記事の読み返しは誤字の有無の他、私の伝えたい事のおおまかな部分が変わらずに伝えられてるかの確認もあります。

私にとっての基本姿勢というか軸みたいなものがあって、安定的な文章を書けたらと思ってます。

こと宇宙に関しての理解は慎重に堅実に進むのが好きです。

というもの、自分が焦点を合わせて生きている宇宙を深く愛しているからなんですね。

例えば、好きな人がいたらその人の事を誤解なく深くわかりたいんじゃないかな。


最近の言葉で「蛙化現象」があるけれど、それって自分の中での相手への期待値などが膨らんだ結果なのかも。

わかるのよね、人って人に幻想を抱くしそんな部分もあると思う。

そうなんだけど、私が宇宙を理解したいって平らでまっすぐな気持ち。

なくはなくけど期待も希望もそんなに持ってなくて、いつも自分次第と思ってます。

なんていうか際限なく自分の都合のいいように宇宙は存在しないなって。

人として地球上にいる時に理解しなくてはいけない事、努力する事、学ぶ事ってあって、それは人間側が自力でわかっていく事。

人として生まれてきた部分含めて。


UFOなどが現れて何らかのサインを送ってたり、夢で宇宙的なメッセージを見たりはあっても受け止め理解していくのはその人です。

それらの事ってある程度の受け皿のようなものが出来てる、備わってる人のところに来るので人間性と共に神秘的、宇宙的世界の理解は必須かなと思ってます。

神秘的な世界や宇宙を好きな人って興味があるから、おのずとそっちの勉強をずっとしてる人じゃないかな。

他にぜんぜん興味がない人のところにも宇宙的な現象って現れる場合があって、それは現象を受け止められる人だからと思います。

 

私が学んでいる感覚では、既にいろんな星の宇宙人さん達が来て遠くから見てたりがあるのかなと思ってます。

なので人によっては、何の気なしにUFOらしきものを見てたりがあるのかも。

それと昔より今日みたいな話題がしやすくなったなぁと嬉しく思ってます。

 

人の行く末と冷静さ

ブログ開設時に内心のどこかで人がすたれていく不安を覚えてました。

人が人らしくある事や人としての大事な普遍性のようなものを、忘れていってしまわないだろうかと。

テクノロジーの進化を人はどう受け入れるんだろうか。

AI技術の進歩は私たちが思っている以上に凄く早いと思ってます。

巷でも言われているように人類がその技術をうまく使いこなせるのか?という疑問。

その時が来ないとわからない部分がありますが、進歩のスピードをよく見極めていくのが大切ですね。

既にチャットGPTやその他で日常的にAI技術が入ってきています。

ここ最近をみても技術普及は、人々の生活の中へわりとスムーズ展開する流れです。

最初こそ戸惑いや疑いがあっても。

極端に避けるとか、逆にあまり考えないで利用していくのはどうなんだろうと思ってます。

技術進歩の目まぐるしい時代のなかで、冷静さをもって向き合うのが大事なんでしょうね。

このまま技術の進化や進歩は当たり前に進むでしょう。

問題は使う側なんですよね。

地球規模でもいろんな事が起きますが冷静さを保てるって賢さです。

人間なので感情があるんですが、一旦は立ち止まって考えるや自分で調べて精査する、もしくは人と話し合ってみるなど物事に対しての建設的な態度って堅実な落ち着つきです。

人がしているから、なんとなくの流れだからで動いたり、よく調べたりせず内容を理解しないでまるっきりの拒絶もどうなんだろうかと。

受動的過ぎるのは面倒だという心理や依存、恐れからでしょうし、感情的過ぎるのは不安やこれも恐れなんですね。

 

そんな私も前は何かあるとすぐに右往左往し感情的になってました。

自分で宇宙を理解したい、広い範囲で捉えたいと思うようになってから冷静さがついてきたかなと思ってます。

 

表現しずらいけど、私が宇宙に焦点を合わせている時ってたいらなフラットな状態なんです。

深い静寂があったりもします。

その状態を維持する為に感情が極端に揺さぶられないようにもしています。

過度に揺れる状態があるとロスが多かったりで疲れたりもするので。

 

人間だから難しいですし、いつも出来てはいないけど(笑)

 

感性を養うには

前回、前々回の記事で普段に不意の危険を少しですが避けて行動している事を書きました。

どちらも偶然かもしれないですが、日頃に思うのはやはり感性が鋭かったら避けられる事があるなと。

ちょっとした事でもいいんですよね。

それが重なっていき出来たら大きな危険をよけていけたらと思うんです。

難しいかもしれないけど、意識しないよりは意識して過ごしていった先って違うかもって、そう思うんですね。

 

危険を回避する感性ですが、やはり視野を広く持つや柔軟性を持つ事、心身共にに安定している事が繋がってるのかなと思っています。

スピリチュアルや宇宙に興味をもって学び、不思議な経験をしつつ依存心を無くし自らで学んでいこうとした時に徐々にいろんな事が安定しながら動き始めた実感があります。

宇宙全体の中の地球、自然や人の営みなどの足もと、物理的な物質の素性や運動なども私にとっては宇宙で範囲が広いです。

そんな興味は過去からも呼び起こされてるかなとも。

それと前に少し書きましたが感じとってる宇宙があり、そこに焦点を合わせてその宇宙に自身が見合うかを大事にしています。

主に行動や思考面です。

この焦点を合わせている宇宙については、いずれ記事に出来たらと思ってます。

心身ともに安定しているって人にとって望ましいです。

生きてるといろいろあって、なかなかそういう状態が持続しないんですよね。

この先の記事にする予定ですが、自他共に健康面で心配な状況が長く続き辛さを経験しています。

どうしてもそこが安定しないと悩みや不安が消えず下向きになるものです。

心身のバランスを整える事は感性を磨いていくうえで大事かなと思ってます。

心の部分は良い人間関係に恵まれてるかや、自身が愛情豊かであるか、生活面の金銭状況などいろんな要因で安定します。

簡単に書いてますがこれもなかなかなものです。

視野の広さをもって学び、いろいろ理解する事によって開ける部分があり、そこから人間性を高めて人と付き合っていけたりすれば、良い人間関係も保て助け合いが生まれると思います。

 

外へ出て自然に触れるのもいいです。

いろんな発見やリラックスが出来て感性が養われますね。

 

 

 

 

 

 

過去からよみがえる

子供の頃、親によく山菜採りに連れてかれました。

うど、こごみ、ぜんまい、ぎょうじゃにんにく、落葉きのこ。

そんなのを採りに山などに行ってました。

落葉きのこは針葉樹の下にあるのですが採りに林に入る際、「ここから先は似たような景色になるから離れて採ってる時に声を掛け合おう」や「先にあまり進まない事。自分のいる位置がわからなくなるから」と言われました。

他の山菜を採りに行く時も崖などがある結構険しい場所へ入った記憶があります。

母が昔の寒村育ちで山菜取りの心得がありました。

一方、父は都会育ちでしたが登山が趣味の人。

当時としては珍しいと思うのですが海外の山も登る経験もありました。

そんな理由で学生の頃、両親と一緒に住んでた地方の中央部に位置する有名な山脈の山をいくつか登ってます。

紅葉で有名な山もあり、きつくて「疲れた〜」と何度も言いながら登山した記憶があります。

住んでる場所の最北端にある離島二つも子供の時に両親と行きました。

自然散策が目的でほぼ一日かけるトレッキングや登山を楽しみました。

景色の美しさは抜群で、お花畑がとても綺麗で島の楽しみ方はそれらの自然に触れる醍醐味。

印象深い思い出ができました。

大人になるにつれ、特に自然に親しむ事を忘れていった記憶があります。

友人と普通に遊び、好きな音楽やファッションなど若い時期に関心があるものに興味を持っていきました。

反抗期もありいい子ではなく厳しかった母への反発が強かったです。

そんな私が今、思うのは多分に両親の影響を受けていたという事です。

 

去年はそれまで歩いた普段の散策路を変更しました。

その前に歩いてた散策路へなぜか、あまり足が向かなかったからです。

変更前の道付近にクマが出没していて、そこへ行きたくなかった理由が後になってわかりました。

歩いていた道は勘でここは大丈夫な気がすると思った場所です。

そこをよく歩く地元の人にクマの状況を聞いて確認すると、やはりクマが一度も出てないと言ってました。

いつも過信はしませんが、自然の厳しさを子供の時から学んでたり勘を培ってたと。

 

人は何かしらの経験をして生きてます。

無駄だと思ってる事も過去からよみがえる場合があります。

ささやかな事であっても自分の今は、未来の自分を形作るものです。